「違う関係性が生まれる展示の可能性」——もぞもぞレポート「アートの現場から」

2023. 6. 2

桝郷春美(ライター)

もぞもぞする現場
——芸術と障害にかかわる人たちの、ネットワークづくりのためのアセンブリー
第2回「アートの現場から」

日時|2022年11月26日(土)13:00-17:00(トーク2時間+ゆるゆる対話2時間)
講師|飯山由貴(アーティスト)
   阪本結(アーティスト)
対話|風間勇助(刑務所と芸術・アーツマネジメント研究者/龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員)
会場|アトリエみつしま(京都市北区紫野下門前町44)

会場のアトリエみつしまSawa-Tadori

 「もぞもぞする現場」の対話プログラム「アートの現場から」が、2022年11月26日(土)に開催された。会場はアートギャラリー「アトリエみつしま」。西陣織の工場を改装した築90年の建物は独特の雰囲気がある。ギャラリー空間に佇むと、建物そのものが呼吸しているような感覚を覚える。はじめに「ミミズのように『もぞもぞ』と豊かな土壌を創る」というフライヤーのキャッチコピーとドローイングについて、「ミミズがいると、土の中に空気が入る。(対話シリーズを通して)いい空気が流れるネットワークができればと願っています」と、企画チームの小山田徹さんが伝えた。土壁や古木などに囲まれた空間で、人々の息が、建物の呼吸と混ざり合っていく。もぞもぞする現場は、そんな場所から始まっているのかな。そんな思いが浮かびつつ、トークが始まった。

 今回の講師は、アーティストの飯山由貴さんと阪本結さん。対話の相手は、刑務所と芸術・アーツマネジメント研究者での風間勇助さん。今回は「アートに比重を置いて話をする」と企画チームの佐藤知久さんから説明があり、それぞれが活動紹介や、今考えていること、問題提起などを話した。話の内容について、いざ蓋を開けてみたら「作品というより、三人とも展示の事例を持ってきた」と飯山さんが気づき、「それが興味深い」とコメント。阪本さんは「自分の展示では滞りなくできていた判断が、他人の作品を展示する時には多角的に考えないとうまくいかないことが多くて、その違いにどうすりゃいいんだって戸惑っていました。二人も違う形ではあるんですけど感じているところが興味深く、可能性も感じました」と話した。展示の事例とは、どんな内容だったのか。まずは阪本さんの事例から紹介する。

「場所や声を持つ人が優位な立場に。そうならない展覧会ってできるのかな」(阪本)

阪本結さん

 阪本さんは京都でアーティスト活動をしながら、福祉施設みずのきが運営する、みずのき美術館で企画・リサーチャー、アーカイブスタッフとして働いている方。この会場には、阪本さんが描いた3枚の絵が展示されている。風景のような画面に、たくさんの線が重なって見える絵だ。阪本さんは「自分の輪郭がどんな形をしているのかに興味があります。自他、公私、人工と自然、中と外みたいに、人はいろんなものの間に線を引いていると日々感じます。実際に目に映る景色に輪郭線や境界線はないけど、誰かの都合で引かれたいろんな線が積層して、まちの風景をつくり、社会のあり方に広がっているんじゃないかと思い、そんな線への興味が、線で風景画を描く発想につながっています」と話す。

この日はギャラリー空間が会場で、阪本さんが小作品を展示してくれた。

 展示の事例として、みずのき美術館で開催した「HOME PARTY 08 – なんたうん2022 –」展を紹介した。企画を担当した阪本さんは、展示の背景をこう語る。「一つ前の『なんたうん』展では、スタッフが作品を選んで展示したのですが、作者さんから『ほんまは展示されてる作品より、気に入ってたやつがあってんけどなー』って言われて、えっ、まじで、ごめんって思った経験があって。作者さんたちは、つくったものを見せ合って、どれがいいとかを自分の口で言える人たち。私はそれを素晴らしいと思っていたにもかかわらず、展示として成り立ちそうな作品で展覧会をつくってしまった。その反省点をふまえて、やり方を変えたのが今回の展示。作者自身が展示できる権利を持っていて、スタッフは作品を選ばない、会期中も持ち込み可、途中で下げてもいい、とめっちゃ自由にしました」

 この経験で得た気づきは阪本さん自身、アーティスト活動をするなかで思うところともつながるようだ。「私も若手の女性アーティストでやっていると、君の作品ええな、うちでやらしたるわ、みたいに言われやすいです。作品を展示できる場所を持っている人や、それらを価値づけて講評する声を持っている人が、関係性において優位な立場になりがち。だけど、そういう人が優位に立たないような展覧会って実際できるんやろか、と今ももぞもぞと考え続けています」

「お客さんに何を持って帰ってほしいか。障害者の芸術の場合、何に設定されている?」(飯山)

飯山由貴さん(写真右)

 飯山さんは、東京を拠点にアーティスト活動し、映像作品やインスタレーションを制作、発表している方。「社会的なスティグマ(偏見)がつくられる過程と、協力者によってその経験が語り直されたり、作られたりすることによる痛みとか回復に関心を持っています。近年は多様な背景を持つ市民や支援者、アーティスト、専門家と協力して制作を行っています」と活動を紹介。作品について、「精神障害の患者と家族と病院制度、日本が植民地を持った歴史や、旧植民地にルーツを持つ障害のある人への日本国家からの制度的な差別、ジェンダーに基づく暴力。一見ばらばらに見えるけれど、それぞれに共通する構造ってあるんじゃないかなってもやもやしてて。あるとき、医療制度での医療者と患者の不平等な関係はパターナリズムっていう言葉で説明されるのを思い出して、家族のなかの不平等は家父長制という言葉で表されるから、これはほとんど一緒じゃんって思ったんですね。そういう理不尽な関係が私は嫌なんだなって。構造を明らかにしながら、そういうの嫌ですって作品を通して伝えていて、これからもそうしたいと思ってます」と話した。

 これまでの作品の制作経緯を語るなかで、特に展示に関しては2022年に森美術館で開催された「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」でドメスティック・バイオレンス(DV)をテーマにした事例を挙げた。「作品よりも、お客さんたちからどういう反応があったかを紹介したい」と、会場で来場者がコメントを書けるスペースを設け、会期中に壁に掲示した方法を紹介した。コメントを通して、来場者の様々な反応を知った飯山さん。「展示空間にある作品は、すべて女性被害者の語り。そのことで『被害者には男性もいるのに無視されているようでつらい』とコメントがけっこう来てどうしようかと思ったんですけど、その気持ちを伝えてくれた上で『被害を受けた辛さに性別は関係ないと思う』という男性被害者の声もあったのは、個人的には心強かったです」と自身の気持ちを語った。そのうえで、「お客さんが展示や作品を見て何を思うか、お客さんに何を持って帰ってほしいかを考えるのは大事だと思うんです。作品を見る行為には、お客さんのなかにも心に蘇る感情とか経験とか、何かしらがある。障害がある人が作った作品を展示発表することへの意思表示はそれぞれの作家でグラデーションがあるからこそ、そもそも主催者はお客さんに何を伝えることを設定、設計しているのかが私はすごく気になる。施設や病院では不平等な関係がある中で、作られた作品をただ見て楽しんでおしまいで本当にいいのかなって思います」と疑問を投げかけた。

 そして、「行政職員が、障害者はこうあるべき像、があるんじゃないかって思うエピソード」として、飯山さん自身が直面している問題*に触れ、「東京都人権プラザで、戦前の精神病院に入院していた朝鮮人男性たちが残した言葉についての作品が展示できなかったんです。東京都人権部からの中止理由は二転三転するのですが、現在は〈障害者と人権〉というテーマに合わないから、と言われています。ただ。この理由がまかり通ってしまうんだとしたら、行政が〈障害者と人権〉に、誰の何の人権が含まれるのかを選べることになってしまう、それは差別です。あと、あの作品は日本のマジョリティの人たちが望む、と言えばいいのかな。決して理解しやすい精神障害者のモデルではないというのも、理由にあると思っています。でもそれは逆に、展示できたほうの作品の出演者にも、ものすごく失礼なことをしているってわかっているのかな」と語った。

(*東京都人権プラザで2022年8月30日から11月30日まで開催の企画展で、映像作品《In-Mates》(2021)の上映とトークが予定されていたが、東京都人権部が作品上映を禁じる事態が起きている。詳細記事はこちら。)

 加えて、「このイベント(「もぞもぞする現場」)は障害者の文化芸術活動を推進する法律(「障害者等による文化芸術活動推進事業」)によってつくられていますが、文化庁は他のマイノリティの芸術活動を推進する法律をつくる気があるのかな?って最近思う。このまま、いわゆる健常者の芸術と、いわゆる障害者の芸術っていう区分だけを日本に残していく気なの??って。今後それをどうやって、開いていくんでしょうか」と指摘した。

フィードバックを必ず返すやり方(風間)

風間勇助さん(写真右)

 風間さんは、東京大学大学院で刑務所と芸術をテーマにアートマネジメントを研究している方。活動の一つとして、風間さんが関わる社会復帰支援を行う非営利団体での、受刑者による文芸作品の公募展を紹介した。この企画ではプロセスを大事に、塀の内と外の人が交流できる対話の場をつくり、審査員や一般の参加者から作品に対するコメントを集めて応募者に送っているという。モデルはイギリスの慈善団体Koestler Artsによる刑務所アート展。そこでは約2千もの賞を授与し、応募作品の95%に対してフィードバックを返している事例を挙げ、「受刑者の家族や犯罪被害者のグループがキュレーションに関わるなど、プロセスで新たな人の関わりをつくっていて、とにかく対話の場をつくろうとするやり方をしています」と紹介した。

 この事例を受けて飯山さんは、「展示する権力というかパワーバランスのなかに、いかにつくった人や、他の人を入れ込ませるか」という話の流れで、「偉いキュレーターや学芸員にピックアップされてキュレーションされることが評価や実績なのではなくて、その場所で展示をした人、表現をした人の言葉や存在が確かに別の誰かに伝わるとか、作者に関係するコミュニティの人にいま伝わること、そして未来の誰かにも伝えていけるようにすることが重要なのではないか」とコメントした。

 また「刑務所アート」について、「その文言を掲げること自体、僕は少しためらいもあります」と風間さんは言う。理由は「それだけで色眼鏡で見られる」からだ。アメリカでもその議論はあるが、いっぽうで収容されている作家から「自分の作品を説明するには、刑務所という場所の制作環境を説明する以外にできない。『刑務所アート』と打ち出す意味はそこにある」という意見もあるという。そこで「場所性」にも触れて、「美術館という場所に持っていけると、あらゆる文脈を切り離して、あるいはキュレーションの仕方によっては別の見せ方や伝え方も考えられる」と別の可能性を語った。

 そして風間さんは、「美術館という空間をどう捉えているか」という質問を二人に投げかけた。「まずは来場者が多いこと。いわゆる美しさ、技術の高さを見ようと来る人に対して、何かしらの別の視点を持って帰ってもらうことができるんじゃないか」と飯山さん。「ただ私、展示の権力って今まで手放してなかった、と今回阪本さんの話を伺っていて自分でもはっとしたところがあって」と言い、こう続けた。「アーティストは作品をつくると同時に、美術館やギャラリーの空間のなかできれいに決まるような視覚的な文法を実地で学ぶけれど、いま正解だと思っていることは、決して正解ではないんだと思う」。

いっぽう、「逆に人数ぐらいかなって思ってて」と阪本さんは言う。「ある場所でつくられたものをアウトサイドで展示し続けるのはあかんのかなって常々思ってて。美術館や、そこに来るであろう人たちに合わせて見せるようにまとめ上げていくしか方法がないんかなって。アートができるプロセスやコミュニケーションが見える環境が、作品を観るのに適した場所になるんじゃないかな」と別の可能性を見つめる。

「自己検閲みたいなものがあるのかな」(飯山)

 風間さんからは、異議申し立てのやり方の相談もあった。「入管法改正案」に反対する座り込みや、「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付決定に反対するデモ参加など、精力的に社会運動に参加する風間さんだが、「僕がこういう運動に行っていると、難しい話をするこわい人と思われて友達が寄りつかなくなる。特に同世代の友達がいないんです」と打ち明ける。「いろいろ異議申し立てのやり方はあるものの、同世代の方は(声を上げるやり方を)嫌う」という。

 対して、「これは日本では、って言っていいのかわからないけど、社会運動への忌避感、アレルギー、わざわざ波風立てるなよ、みたいなところは、マジョリティにも、なんらかのマイノリティ性を持っている人にもあるんじゃないかでしょうか。それと、作品や展示で、誰もがいろいろな見方で感じて、受け入れていいんですよ、みたいな落とし所をつくるところは、どこかつながっている気がします」と飯山さんが応答。「これ、あくまで感覚ですよ」とし、「ある一定の表現のしきい値を超えると、ちょっと運動っぽく見られるんじゃないかとか自己検閲みたいなものが、あるのかなって。福祉とか美術の範疇を超えないように、あえてやってる。領域を越えるともしかして違う方向にメッセージがいっちゃうかもしれないから、留めてるのかなって想像します。でも、もしかしたらこれは考えすぎで、行政の職員の人には『平等』とか『人権』は、表現が関係する事業を考える時に、頭の中にまったくない人もいるかもしれないんですけど」と洞察した。

 この話を受けて風間さんは「同じかどうかは難しいんですけど」と前置きし、社会運動で出ていく自分とは別に、刑務所アートの展示活動は「社会運動の文脈に引っ張られすぎずにやりたいと考え、マスコミへの取材対応をコントロールしようとしてしまう自分がいます」とも。「特にマスコミは、こちらの意図しない報道の仕方で、ゆえに拡散力もあるのですが、それによって表現が、別の文脈に搾取される、作品を使って運営側やメディア側の主張に利用してしまうような力関係を懸念している」からだと言う。対して飯山さんは、「風間さんが気にしてる(社会運動、社会正義的な)方向をなくしすぎてしまうと、商品化みたいな、ただ、いいものがある、それが美しい、おもしろい、値段がつく、結果として作者は適正な報酬が得られる、これは決して悪いことではないと思う。でも、障害のある人の心身の健康と収入に深く関わる事業を、その一方向だけで行政が無責任に進めていっていいのでしょうか。たとえば『障害者差別解消法』と文化芸術の法律を一緒に周知するとか、できないのかな。特に、とてもとても大きなステークホルダーである医大や病院にも。その辺のあんばいが気になってます」と返した。

こうして前半の2時間があっという間に過ぎ、「もぞもぞが何なのかわからないままに、もぞもぞしていました(笑)」と風間さんが締めくくった。

(トークと対話おわり)

トーク後のゆるゆる対話の様子

あしあと

 後半は、3テーブルに分かれて対話。机には紙が敷かれ、自由に書き込めるしつらえに。登壇者も参加者もスタッフも分け隔てなくテーブルについて、自己紹介が始まった。

 計4時間にわたって濃密な話を聞き、誰かが「知恵熱出そう」とこぼし、周りもうなずく。私も最後に自分のもぞもぞをそっと打ち明けた。いったいどうやって文章にまとめられるのか、と。すると「まとめないのも方法論かもね」と参加者の一人が返してくれた。気持ちが楽になった。そういえばはじまりのとき、企画チームの佐藤さんが「思いを共有していくことから始めよう。理想的な形が見えているわけではない」と話していた。ここは試行錯誤しながらともに歩んでいく場。

 対話のおわり、同じテーブルの人がふと「小宇宙」と口にした。その瞬間まわりの人がほぼ同時に、紙の上でペンを走らせた。「小宇宙」という言葉が互いの胸にスッと入って、もぞもぞが少しほどけていった感じがした。そんなふうに交歓しながら、さりげなく視界が開けた回だった。(桝郷春美)